リージョン:ベトナム社会主義共和国
調査対象地域:ハノイ市、ホーチミン市、ダナン市、ハイフォン市、カントー市及び地方部
1. 調査概要と方法論
本報告書は、ベトナムにおける急速なデジタル化が社会構造、経済行動、文化消費に及ぼしている影響を、技術的・実用的観点から記録することを目的とする。調査は2023年第四半期から2024年第一半期にかけて実施された。一次情報源として、ベトナム統計総局、情報通信省の公開データ、Googleの「消費者行動洞察」、DataReportalのデジタルレポートを参照した。二次情報源として、現地家電量販店ディエンマイXANH、Nguyễn Kimでの価格調査、MoMo、ZaloPay運営企業への公開インタビュー記事、主要書店FAHASA、Phương Namでの販売データを分析した。
2. スマートフォン市場の構造変化:中国系ブランドの支配と5Gの浸透
ベトナムのスマートフォン市場は、価格性能比を重視する消費者特性を背景に、中国系ブランドが圧倒的シェアを確立している。2023年の出荷台数シェアでは、Samsungが約23%で首位を維持するものの、Xiaomi(約18%)、OPPO(約16%)、realme(約12%)、vivo(約10%)が続き、上位5社中4社を中国系ブランドが占める。この競争激化により、Vingroup傘下の国内メーカーVinSmartは2021年にスマートフォン事業から撤退した。低価格帯(300万-700万VND)において、Xiaomi Redmi Noteシリーズやrealme Cシリーズは、Quadカメラ、5000mAh超の大容量バッテリー、AMOLEDディスプレイといった高スペックを提供し、市場の標準を牽引している。
| 機種モデル(メーカー) | 推定平均小売価格(VND) | 主なスペック特徴 | 市場での位置付け |
|---|---|---|---|
| Xiaomi Redmi Note 13 | 5,990,000 | 108MPメインカメラ、AMOLED 120Hz | 中価格帯ベストセラー |
| realme C67 | 4,690,000 | 108MPカメラ、33W充電 | 価格対性能比重視層向け |
| Samsung Galaxy A15 5G | 5,490,000 | 5G対応、Super AMOLED | ブランド信頼性を求める層向け |
| OPPO Reno11 F 5G | 8,690,000 | 5G、67W充電、防水防塵 | デザイン・高速充電重視層向け |
| Apple iPhone 15 | 22,990,000 | A16 Bionic、ダイナミックアイランド | プレミアム市場の定番 |
| Tecno Spark 20 Pro+ | 5,290,000 | 108MPカメラ、32MP自撮りカメラ | 自撮り機能特化型 |
5G対応機種の浸透は都市部で顕著であり、ハノイ、ホーチミン市、ダナンでは主要キャリアViettel、Vinaphone、MobiFoneによるネットワーク整備が進む。しかし、メコンデルタ地方や中部高原地域では、依然として4G LTEが主流であり、デバイスアクセスの格差が情報格差に直結する構造が存在する。
3. モバイルマネーの急拡大:MoMoとZaloPayの二強時代
ベトナム国家銀行の「2021-2025年キャッシュレス決済推進プロジェクト」を背景に、モバイル決済は爆発的に普及した。ユーザー数ではMoMoが約3100万人で先行し、Zaloの内蔵決済機能であるZaloPayが約2500万人で追随する二強体制が確立している。MoMoは多機能性を武器にし、送金、公共料金支払い(電気・水道はEVN、SAVACO)、携帯電話料金(Viettel等)、航空券(Vietnam Airlines、Bamboo Airways)、映画チケット(CGV、Lotte Cinema)購入までを一つのアプリで完結させるエコシステムを構築した。
4. QRコード決済の日常化と現金社会との併存
決済インフラの最大の変化は、QRコードの普及である。ハノイのザーンスーストリートやホーチミン市のベンタイン市場のような観光地から、地方都市の路店やコーヒーショップ(Cà phê Cộng、Highlands Coffee)に至るまで、MoMoまたはZaloPayのQRコードが提示されている光景は一般的である。スーパーマーケットチェーンのWinMart/WinMart+、Co.opmart、コンビニエンスストアのCircle K、GS25でも標準的に導入済みだ。しかし、零細企業や高齢者層を中心に現金決済への強い愛着は残っており、完全なキャッシュレス化には至っていない。これは、インフォーマル経済の規模が依然として大きいことの反映でもある。
5. デジタル出版の隆盛と現代文学の変容
スマートフォンの普及は文学の消費形態を一変させた。国際的なオンライン出版プラットフォームWattpadのベトナム語コンテンツは膨大であり、ここから書籍化、映画化される作品が続出している。代表的な作家がGàoである。彼女の作品『Chúng ta của sau này』(私たちのこれからのこと)はWattpadで数千万の閲覧数を記録し、FAHASAを通じて物理書籍として出版されベストセラーとなった。同様に、Anh Khang、Hamlet Trươngといった作家も、SNSやブログプラットフォームWordPressを起点に人気を集め、従来の出版社Trẻ出版社、Kim Đồng出版社と契約する新しい流通経路を確立している。
6. 伝統的文学賞とデジタル世代の作家の乖離
一方で、ベトナム作家協会が主催する伝統的な文学賞(「作家協会賞」)の受賞作と、デジタルプラットフォームで流行する作品の間には明確なジャンル・テーマの隔たりが見られる。作家協会賞は、歴史小説や社会派文学を重んじる傾向が強く、Nguyễn Ngọc Tưのような作家が評価される。対して、Wattpadや若者向け出版社IPMから登場する作品は、恋愛、青春、ファンタジーを主題とした「ライトノベル」的性質が強く、読者層も10代から20代前半に集中している。文学の「大衆化」と「細分化」が同時進行している状況である。
7. TikTokを基盤とするインフルエンサー経済の確立
情報流通において最大の影響力を持つプラットフォームはTikTokである。2024年現在、ベトナムのTikTokユーザーは約5000万人に達し、ショートフォーム動画によるコンテンツ消費と創造が日常化している。料理系インフルエンサーBà Mườiは、素朴な田舎料理を紹介する動画で700万人以上のフォロワーを獲得し、YouTubeにもコンテンツを展開する。社会批評系のThơ Nguyễn(本名Nguyễn Thị Phương Thảo)は、鋭い社会風刺を込めたモノローグ動画で若年層の共感を集め、フォロワー数は900万人を超える。
8. インフルエンサーと伝統メディアの相互作用
これらのデジタルインフルエンサーは、もはや単独の存在ではない。国営放送VTVの番組、例えばVTV3のバラエティ番組やVTV4の対外向け番組にゲストとして招かれる機会が増加している。また、民間テレビ局HTVや人気ウェブサイトVnExpress、Zing Newsがインフルエンサーを起用した特集を組むことも一般的である。逆に、伝統的メディアの著名人もTikTokやFacebookアカウントを積極的に運営し、双方向的なメディア環境が構築されつつある。
9. Eコマースとインフルエンサーマーケティングの融合
インフルエンサーの経済的影響力は、Shopee、Lazada、TikiといったECプラットフォームと強固に結びついている。インフルエンサーはTikTok ShopやShopee Liveでライブコマースを実施し、直接的な商品販売に結びつける。美容系インフルエンサーChangmakeup(本名Trần Thùy Chang)は、自身の化粧品ブランドを立ち上げ、SNSを通じて販路を拡大した成功例である。この構造は、従来のテレビCM(VTV、HTVでの放送)による広告モデルを急速に置き換えつつある。
10. デジタル格差の実態:都市部と地方の情報アクセス
以上の変容は、均一に進行しているわけではない。ホーチミン市やハノイでは、高速通信規格5G、配車アプリGrab、食品配送アプリShopeeFood、GrabFood、デジタルコンテンツが高度に統合された生活が成立している。しかし、ソクチャン省やラオカイ省などの地方では、4Gネットワークの不安定さ、スマートフォンスペックの低さ、デジタル決済を受け入れない小規模店舗の多さなどが障壁となる。政府はViettelなどの事業者を通じて地方の通信インフラ整備を進めるが、デバイスとリテラシーの格差是正には時間を要する。
11. サイバーセキュリティと個人情報保護の課題
デジタルサービスへの依存度が高まるにつれ、課題も顕在化している。MoMoやZaloPayを騙るフィッシング詐欺、SNSアカウントの乗っ取り被害が後を絶たない。政府は「ネットワーク空間における安全確保に関する法律」を施行し、Facebook、Google、TikTokなどのプラットフォーム事業者にデータローカライゼーションを求めているが、執行は過渡期にある。個人情報保護法の整備も急務であり、急速なデジタル化の「影」の部分への対応が社会的な関心事となっている。
12. 総括:ハイブリッド化するベトナム社会の現在地
本調査が示すのは、ベトナム社会が「完全なデジタル転換」ではなく、「アナログとデジタルの高度なハイブリッド状態」へと移行しているという事実である。中国系スマートフォンメーカーによる高性能低価格機の供給が基盤となり、MoMoに代表される多機能決済アプリが経済行動を変容させた。その上で、WattpadやTikTokといったグローバルプラットフォームが、文学やエンターテインメント、情報流通の国内構造を再編している。一方で、現金決済の持続、地方の格差、セキュリティリスクは、この変容の速度と範囲を規定する抑制要因として作用し続ける。今後の発展は、技術の浸透と、これらの社会的・制度的な制約との相互作用によって決定されると結論付けられる。
発行:Intelligence Equalization 編集部
本インテリジェンス・レポートは、Intelligence Equalization(知の均等化プロジェクト)によって執筆・制作されたものです。日米のリサーチパートナーによる監修を受け、情報格差の解消と知識の民主化を実現するため、グローバルチームがその内容を検証しています。